「いつも」からの脱却

試合の模様を全く見てないから良く分からないんですが、
浦和のサポーターが応援を中止したそうです。
http://www.urawa-reds.org/up/source/reds0387.jpg
しかし厳しいですねぇ。一回負けたくらいでボイコットとは・・・
だったら仙台なんかは何回空白の時間を過ごさなきゃいけなんだろう?応援再開される前にシーズン終わっちゃう気もするけど。


それはともかく、試合は無言の激が効いたのか、浦和が快勝。
http://www.tbs.co.jp/supers/game/20040418_2121.html
浦和って過去にも応援自粛したことが何度かあるけど、そういう時って決まって結果出してません?00年の仙台戦*1もそうだった。



選手はいつも熱心な声援を受けていることに慣れているから、ホームで急にサポーターに突き放されると(見放すとは違う)
空気が変わっていることを敏感に察知して凹む暇も無く危機感を感じて身体が動くのかもしれない。


かつて村上龍

ヨーロッパでホームの選手が頑張るのは、温かい声援があるからではなく、負けたらどんな仕打ちに遭うか分からないからだ

という話をしていたのを思い出した。
ホームスタジアムから応援の声が消えた浦和の選手は同じ気持ちだったんじゃないかな?


逆に今日、念願の「サッカーの聖地」国立に足を踏み入れた新潟サポーターは
いつものように大人数で押しかけて、いつものように熱心な応援で盛り上げたが、結果は付いてこなかった。
新潟の選手はいつも大勢のサポーターの後押しがあるありがたみを
無意識に当たり前に感じて+αの力を発揮出来ないようにも感じる。


個人的には新潟の応援は熱心で好感が持てるんだけど、2年前の仙台の応援をそのまま移動させたようで面白くない。
サポが大所帯になることによるマンパワーの減少・個性の没落は避けられない宿命だろうか。
そろそろ応援だけでは通用しなくなることを嫌になるほど知ることになるだろう。


応援もただ同じペースで続けるとマンネリ化して本来の効果も薄れるものではないかなぁ。
叱咤と激励を使い分けていつでも選手の耳に新鮮に響くような工夫をしていくことも、
試合に影響してくる、と言うのは言いすぎだろうか。
その見極めがとても難しいのだけど・・・


いつもと違う環境を用意するのは沈滞した雰囲気を壊して更なる奮起を促す為には時として必要な手段なのかも知れませんね。

*1:4-2で浦和の勝ち。前節の新潟戦で1-6と大敗。これに対する抗議の意味で組織的な応援をボイコット。段幕は逆さに貼られ、大旗を外されたポールがズラ〜〜〜と立てかけられていた。いつもとは違う静まり返ったスタンドに逆に怖さを感じた。ちなみにこの試合から小野伸二と田北勇気が頭を丸めて試合に臨むことに