一関が燃えている

一関一高の49年ぶり甲子園出場で街が活気付いているようです。
http://www.sanspo.com/tohoku/top/th200402/th2004020601.html
私の両親はこの一関の隣にある花泉町の出身ですから、盆や正月になると一関にはよく一緒に出掛けるなど、馴染み深い町です。
一関は人口5・6万程度の小さな町です。駅に新幹線が止まって幾分交通の利便性が良いとは言え、ごく平凡な地方都市です。
そんな静かな町が(少し前に中心部にクマが出没して騒然となったそうだが)
地元の高校が甲子園に出場するだけで、ここぞとばかりに沸きかえっているのです。
同じ一関には、私立の一関学院という高校が度々甲子園に出ますが、今回のようなムーブメントはまず起こりません。
(宮城でも東北・仙台育英が甲子園行きを決めても街全体を揺るがす事態にはなりません。全国制覇したら話は別だけど)
一関一高と一関学院。甲子園に出ることは平等に喜ばしいことなのに、何故こんなに扱いが違うのか?
一関一高は100年以上の歴史を持ち、国公立大学にも毎年多くの合格者を出すいわゆる進学校ってヤツです。
卒業生・関係者にとってはいつまた訪れるかも分からない一世一代の突発的なお祭りなのです。
スポーツ強化型の強豪私学が出るのとは訳が違う。
甲子園での試合の時にはアルプススタンドが世代・時空を超えたおびただしい数の人で埋め尽くされるのは確実。
大袈裟ではなく、街ごと甲子園に引越すくらいの勢いで49年分のパワーを解き放つことでしょう。


この一関一高に限らず、甲子園に来ると熱狂的な応援で選手の後押しをし、街のパワーを全国に見せ付ける学校があります。
富山の新湊や千葉の銚子商業が出ると、地元の漁師達が大挙してなだれ込み、威勢の良い声援で盛り上がるし
4年前札幌南が69年ぶりに出た時は全国から卒業生が集結し、
北海道からはチャーター機を飛ばして駆けつける程の熱狂ぶりでした。

おらが町の学校が甲子園で全国を相手に戦うことにより自分の住む街、卒業した学校への想いを確かめ、深めていく・・・
いわば、甲子園はただ単にグラウンドで選手が野球の勝負を競うだけではなく、
代表校がそれぞれの街のパワーを持ち寄って、それをあらゆる形で存分に表現する「夢の発表会」のような存在だと思うのです。
日頃、我が町の存在を全国に発信できない田舎であるほど、その傾向は強まります。
甲子園という舞台での活躍が住民の自尊心を大いに刺激するのではないでしょうか。
土の上では選手が、スタンドでは周りの大人が自らの欲求を満たす為に戦う場所、それが甲子園だと思います。


これはJリーグでも味わえる醍醐味です。自分の住む街の名前を背負って戦うチームの姿に毎週末住民が一喜一憂する
そんな苦楽を交互に味わいながらJ1昇格を手にした仙台・新潟・大分が、それぞれの地域に与えたものは計り知れないし、
これこそがJリーグを発足させた意味なのだと思います。


私が高校野球Jリーグにのめりこむのは、競技そのものを見るというより、
地域の誇りを掛けて熱狂する行為を自分が体感したり、その様子を眺めるのを何よりの楽しみにしているからなんですね。
応援1つ取ってもそのチームへの愛情・人気の度合いが伝わるものなんです。
だからこそ、バンカラとか、人文字とか他とは違うオリジナリティのある応援をするところは見ていて飽きることがありません。

その機会に恵まれた一関の人達は本当に幸せだし、滅多に味わえない大舞台を存分に楽しんで欲しいと思います。
そして、私はその狂喜する姿をTV越しに堪能させて貰うつもりです。


ちょっと今日は話が堅かったかな・・・