ダービーは闘い

山形のある選手が何やら挑発的な発言をしています。
http://www.sanspo.com/tohoku/top/th200402/th2004021202.html
正直、気分は良くないが、ライバル意識を剥き出しにしてくれてると、こっちも叩き甲斐があるってもんだ。


サッカーにはすぐ隣の相手を捕まえて敵意を露にぶつかり合うカードがある。いわゆる「ダービーマッチ」である。
日本×韓国、清水×磐田が代表的でその時の実力・順位に関係なく激しい鬩ぎあいを見せて、見るものの魂を揺さぶって止まない。
仙台にとっての山形戦は正にそのような特別な位置づけとなる。
仙台と山形を巡る因縁・怨念は最近ちょっとかじったくらいの新参者には到底理解出来ないものがあるだろう。
ここに数々の闘いの軌跡を簡単にまとめてみよう

95年 利府での大惨敗 台風直撃・嵐の山形決戦(1)
96年 水曜昼の宮陸での粘り負けに少数のサポ大暴れ*1
97年 準会員のプライドを2度もズタズタにされる*2
98年 絶好調山形に初黒星・2敗目をつけたのは「準会員」仙台*3
99年 開幕戦、髭の駄策に屈辱の大逆転*4。この後暗黒へ突入
   台風直撃・嵐の山形決戦(2)
00年 カツミの珍プレー劇場*5at仙スタ
   財前涙の職場復帰*6at天童
01年 ホームであってはならないロスタイムでの同点劇*7
 夏の天童の夜に突然舞い降りた「やまがたBOYS」*8

結構いろいろあるな(笑)
仙台がJ1に2年間「出稼ぎ」していたことにより
その間は「一時休止」。今年晴れて激戦の歴史に新たなページを加えるべく、時は再び動き出した。
この引き離された時間の分だけさらに両者の闘争心を掻き立てる。奥羽山脈を隔てた闘いはどこまでも壮絶であり続ける。


当然県民感情に逆らえない対決に世間の注目が集まる。多くの仙台サポから

「山形には負けたくない」

という言葉が出るのもごく自然の成り行き。
しかし、私は大いに不満だ。
「負けたくない」という人間はまだこの対決の重要性を何も分かっていない。本気で勝ちたい、という意思が伝わってこない。
別に長年応援しているから、と威張る気は毛頭無いが、緑の頃から見ている者には分かっているはずだ。
山形に勝つときの他とは明らかに違うあの充実感を。
山形から受けた傷が何よりも深く、重くのしかかることを。
山形戦は特別であることを体でイヤになるほど覚えた者ならこう言うはずだ。

「絶対に、何が何でも山形だけには負けたくない」


仙台も01年以前とは比較にならないくらいサポの数は増えた。天童にも相当な人数がなだれ込むのは確実。
が、その分J2が初めての人間も多い。山形戦の重要性を知らないでさくらんぼ狩りや芋煮会の感覚で来られるのは、大迷惑だ。
スタンドの持つ士気・パワーも落ちて耐え難い屈辱をまた味わうような気がする。
また、選手の中にも山形戦が特別な意味を持つことを何人が理解しているのか、これも激しく疑問。
「軽く流せば勝てる」なんて考えているならば絶対やられる。
常に全力で、いやそれ以上の力を出して徹底的に叩きのめすべき相手、それが山形なのだ。


無論、山形にとっては上記の文中の山形の単語を仙台に置き換えて考えるだろうけど。
それでいいんじゃないっすか?互いが感情を剥き出しにすることによって試合も締まるし、そこで出る結果に泣くなり、笑うなりして
また次の対戦でリベンジ・返り討ちにしようと心待ちにする、この作業の積み重ねがたまらなく面白いのだから。



どうせ行くなら『応援』ではなく、『闘い』に来て欲しい。
行楽気分でマターリ見たいのなら公共放送で生中継があるからそちらで用を済ませて頂きたい。
勝ちに飢えた人間が集まる方が勝つ確率が高くなるだろうし、帰りに渋滞して私の機嫌が一層悪くなるから(笑)

*1:当時監督の佐藤長栄氏に人格否定発言もあり

*2:凡ミスを繰り返した阪倉には放送禁止用語の数々が浴びせられる

*3:モンテディオに土〜〜〜〜〜」by下田恒幸。千葉泰伸の「僕達はやれば出来る」は我々のハートを鷲掴みに。以来一部サポーターのカリスマとして全幅の信頼を集めることに

*4:開始10分にドゥバイッチが肩を脱臼も、最後まで交代なし。鈴木氏の監督としての資質をを疑う声多数

*5:山形GK鈴木克美が蹴ったボールが仙台FW大友の額に直撃、そのままゴールに吸い込まれた。場内が失笑の混じった大歓声に包まれたのは言うまでも無い

*6:99年9月の大分戦で右膝靭帯を断裂。懸命のリハビリの末、翌年6月の復帰にこぎ付けた。本調子には程遠い状態ながらCKからドゥバイッチの決勝ゴールを演出するあたりは流石である

*7:試合後森勇介vsサポのガチンコ対決

*8:この様子を見て、現後援会理事長がブチキレたらしい